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2005年7月22日 (金曜日)

自転車の酒酔い運転をすると前科者になる!!

自転車は軽車両であり、道交法で定める義務や禁止行為がある。
①左側通行
②通行可の歩道は車道寄りを徐行し、歩行者の通行を妨げてはならない
③標識に従う
④酒酔い運転をしてはならない
⑤夜間はライトを点灯する
などがあります。

 自転車は免許がないため反則制度が適用されず、違反すればいきなり前科となる罰則になる。そのため警察としても取り締まりが難しく、自転車に対しては指導や注意で終わっている現状です。(道交法を遵守すれば逮捕となる。微薫を帯びたいとしい無辜の民に温情をかけ、断腸の思いで苦渋の決断をして頂いていると思いませう。)

 歩行者と自転車のトラブル、自転車同士の事故が頻繁に起きています。商店街は土日、自転車に乗ってはならぬことになった。
 昨年、自転車同士の衝突で一人は死亡、重傷の男性は重過失致死罪で禁固1年2月、執行猶予3年の刑となった。 時速20Kmでも自転車はいとも簡単に死亡事故に発展するのだ。

 一方、車道の弱者である自転車を車道走行の原則を残しつつ緊急避難的に車道から歩道に移したのが約30年前で、その後進展していない道路行政にも問題がある。
 パリの公園では内側から順に歩道、馬、自転車、自動車の道がある。これは発生順であることに気づかされる。新参者の自動車よ奢るなかれ。
 交通・安全・環境は行政が行うべき基であるが、安全な道路ができるのは百年河清を待つようなものでせうか。

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2005年7月21日 (木曜日)

門徒物忌み(ものいみ)知らず

私の仕事の一部で冊子の配付があります。毎月配るのですが、ご近所の方へ何か発信したいという願望から思いついたものを書き冊子とともに配らせて頂いております。ご近所の方は迷惑と思っていると思われますが、一人暮らしのご高齢の方は結構喜んでくださるので、お調子者の私は便所のついでに読んでくださいと、ついつい配っているのだ。

**厠版7月号****
今月はお盆も近く、私の宗派である浄土真宗の考え方を書いてみました。他宗派の方は参考にしていただければ宜しいかと存じます。

 「門徒」とは、浄土真宗の信者のことです。
 「物忌み」とは、平安時代に陰陽道の「物忌み」が日本に入って来てから盛んになった考え方で、厄難消除を主体とし、外の霊鬼から身を守るための精進潔斎行のことです。
 現代も通夜や葬儀などの仏事に、いわゆる「忌み事」として、「しなくてはならないこと」などの慣習があるようですが、多くは死や死者をケガレと見る考え方から来ております。
 浄土真宗は、亡くなられた方を仏さまと仰ぎ、その死をケガレとせず尊いご縁と考えておりますので、一般に行われている「忌み事」を勇気を持って無視してきたのです。 (私は母の葬儀のおり無視する勇気・元気はなかった。)  そのため浄土真宗以外の方々から「門徒物忌み知らず」と呼ばれてきたのでした。

 実際、現在でも行われている「忌み事」を葬儀での例を挙げてみましょう。

 葬儀に友引の日を避ける、結婚式を大安の日で行うなどは、仏法とは一切関係ありません。「友引」は中国の六曜で、諸葛孔明の軍記が元といわれ、明治に暦屋が取り入れたといわれております。 元は「元引(引き分けの意)」と書いたそうです。語呂合わせか、勘違いに左右されるのは困ったものです。さらに火葬場まで休みでは葬儀を変更しなければなりません。問題ですよね。

 また、故人が生前に使っていたお茶碗を音をたてて割ることも「忌み事」として残っております。 これは、故人に対して「あなたが帰ってきても、ご飯を食べるお茶碗はありません。」と伝えていることだそうです。
 葬儀の後、出棺の前に棺の蓋に石で釘を打つ「釘打ちの儀式」が行われている地方があります。(映画「お葬式」でそんな場面がありました。) これは「石には霊を封じ込める力がある」という迷信から来ており、死のケガレを石の力によって棺の中に封じ込めてしまおうとするものです。

 その他、箸を立てたり、旅装束を着せたり、守り刀を持 たせたり、逆さ屏風にするなど 仏教 伝来以前の習俗は、仏事である葬儀で は行いません。

 お骨を拾 う時、二人で一つのお骨を拾わねばな らないとする「忌み事」もあります。  これ は、死のケガレを分散させるためだ そうです。

 火葬場へ の道を、行きと帰りでは変えるということもよく聞きます。 これは、「同じ道を帰ると亡くなった者がついてくる」と言って、家までの道を覚えさせないため に行われているのです。

  また、葬儀や火葬場から帰ると、家の中に入る前に塩を身体にかけている人がおりますが、 これは神道の 「五穢(五つのケガレ)」の 思想から来ているもので、塩にはケ ガレを落とす力があると神道では信じられており、葬儀や火葬場に行くと死のケガレがつくので塩を使ってケガレを落としてから入るということだそうです。  神道の方は塩を使って良いと思いま すが、仏教徒には必要のないことです。

 「四十九日が三月にわたるといけない」の根拠は単なる語呂合わせ、シャレです。  「四十九日」を「始終苦日」に、「三月」を「身付き」に置き換えて、「始終苦日が身に付く」から「四十九日が三月にわたってはいけない」と言われるようになったのです。

 浄土真宗になじまない言葉として、「ご冥福をお祈りいたします」という言葉があります。 冥福という言葉ですが冥とは、「暗黒。くらやみ。無知と同義語。」と出ており、迷いの世界を指すようです。つまり冥福を祈るとは、死後、暗黒の迷いの世界に落ちたあなたですが、その世界での幸せをお祈りいたします。という意味の言葉なのです。(電報の例文に「冥福」が非常に多いのでご注意)
 
以上のようなものが「忌み事」と呼ばれているものですが、浄土真宗の人たち、ご門徒さんたちは、自分たちの教えと大きく異なるものであり、これらが死者を冒涜するものであるとよく知っていたから行ってこなかったのです。

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2005年7月20日 (水曜日)

ゆる体操**力を抜いて「軸」を感じる **疲れたときに有効、脳も活性化

力を抜いて「軸」を感じる
 **NHKでダイエット作戦として放送されました***
 体をゆるめ、身体意識を高めると、骨や筋肉などの自由度が高まり、質の高い動きや体の使い方ができるという。「その代表がイチロー選手です」と、ゆる体操を考案した株式会社運動科学総合研究所社長の高岡英夫さんは言う。武道家や舞踊家らのトレーニングにかかわってきた高岡さんは、一般の人もゆるむことで健康になれると思い、3年前、高齢者や運動嫌いの人でも取り組めるゆる体操を発表した。「人はゆるめばゆるむほど美しく健康で若々しく高能力になれる」
 「気持ちよーく、気持ちよーく」とつぶやきながら手や腕をさすり、「くるんくるん」と言いながらブラブラーっと腕を回す。「センター(体の中心軸)を意識しながら立ってね」。にこやかな講師の声。体の力を抜き、意識を集中させると、股間から背骨に沿って脳天へ抜けていく軸が感じられたらOK。センターができると姿勢がきれいになり、気持ちもまっすぐになる。
 講座に通う人の感想。
「体を動かすのがおっくうなたちだけど、ゆる体操で日常の動きがよくなった」という。また「心身共に硬かったのが、ゆるむことで心持ちも、ものの見方も変わってきた。意識してこなかった体の使い方に気づき、とてつもなくおもしろい」。ダンスを習ってる人は「どう力を抜いて踊るかを模索中」。
 寝ながら、座りながらの体操もある。
プラプラ、クネクネ、モゾモゾなど擬態語を多用するのは、笑いやラックス効果を引き出すため。ギュー、ドサー、ドゥワーと声を出しながらする肩こり解消体操などは、ストレス発散できると同時に呼吸法の訓練にもなっている。同時に、センターや丹田(腹部)などの身体意識を高められるのも特徴。

 NHKで痩せる方法として紹介され、便秘や肩こり、冷え性が解消されたという声が多く寄せられている。
 筋トレは体表面の筋肉を鍛えるが、ゆる体操は体内部の筋肉を鍛えるそうだ。拳法の酔拳の動きと共通する動きです。古武術や拳法の一部で筋トレは身体を壊すので禁止されております。

体の使い方の気づきといえば・・古武術 ****
私は、「ナンバ歩き」など日本古来の動きを現代に伝える武術家の甲野善紀先生が実践する古武術を習って、腰痛が起こらないように精進しております?が、農作業で腰痛になってしまいました。トラクターや田植機の作業では体をひねって後ろを見ることが多く、ヤバイなと感じていたのですが・・

 甲野先生は、「武術と同じように、局所に負担がかからない動きで、自分の体重や相手の体重をうまく利用して行うのがポイント。体の声を聞くことを忘れないでください」と話されます。
 古武術では体はひねらず、ためず、力まず動かすこと。関節、筋肉の動きを感じ取ることがポイントなのです。

***蛇足*****
 イチロー選手をTVで観ていると、ストレッチ、四股、溜めの無い動き、打席の真っ直ぐな背中、打ったり投げた後の息吐き、柔らかい動きに気づかれると思います。打者は2ストライク後はストレートのタイミングで待つのが常識ですが、イチロー選手は変化球のタイミングで待つそうです。テイクバックのない打法が可能にするのでしょう。また、 桑田選手が武術家の甲野先生に野球の動きを習っています。牽制球は甲野先生の方が早いそうです。それを教えると野球のルール改正に繋がるので教えないと言っておられました。
 野球をしている方に投げ方のヒント。特に内野手向けになりますが、ボールを投げる時、肘を支点にと教えられます。だから肘を痛めるのです。 肩甲骨を使って投げ・打つようにすると肘の負担が減り、早く動けます。ある中学は取り入れています。肩甲骨が自由に動かせるようになるには数ヶ月かかります。肩甲骨を縮めた状態から伸ばす。腕は頭より後ろへやらない。これは手裏剣の投げ方と同じです。
 また、重いものを持ち上げる時は、肩と腰を落としてから体を後ろに投げるやうにしてください。 ポイントは肩を落とした体制で行うこと。肩をイカラシタ動きは古武術ではスピード・パワーがないため存在しません。肩をイカラシタ怖いお兄さんの動きは術理に適っておりません。・・・でも・・やっぱり怖い(><)

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再び配水制限に思う・・いつになったら解決するのか?

 度重なる配水制限。各県集まれば徳島県が退席して協議は進まず。徳島の代表の方がOKと言ったら、徳島には帰れなくなるでしょう。(笑)
 以下、都村コンサルタントの要約です。・・・10年前の意見ですが、今もそのまま当てはまると言うことは、10年間水問題は進展していないと言うことです。

物事を決めようとしたら、まず「理屈」から入るのがセオリーです。
誰が考えても合理的であるという論理をまず提示し、理屈でみんなが賛成するのがファーストステップ。

 次に、論理が正しくても利害が絡んでいると「私は嫌だ」という人が出てくるので、もし必要であればお金などの代償で「利害」調整をする。

 最後に「歴史的な背景を無視している。今まで香川が何をしてくれたのか!」とかいう「感情」を調整するという順番です。
 この「理屈」「利害」「感情」の順番を間違うと、いつまでたっても何も解決しないと思います。 これを、歴史的な背景を無視しているとか、代償が必要だとかいう話から入っていくと、好き嫌いの議論になってしまいます。よい例が韓国や中国に対する戦争の謝罪の問題です。これまで何回「謝れ」と言われ、何回謝り、そして何か解決しましたか?

**誰も損をしない総論がある
 「安全」と「交通」と「自然」に関しては個人の権限を放棄し、これを行政に預けようということを私は言い続けてきました。
ですから、水(安全)問題の解決のために、まず「水はみんなのものだ」という総論、「理屈」を合意しましょう。

 幸い、徳島と香川の水問題は「余っている徳島から足りない香川へ回しても、どちらもショートしない」のですから、誰も困らない解答があるケースです。
 徳島の大半の人は、香川に水を回したら徳島がショートすると思っているかもしれませんが、「徳島で使う5億トンに対して、供給量は12億トンある。そのうち2~3億トンを香川に回せば香川は十分足りる」とちゃんと数字を示せば、誰でも納得できる話だと思います。

 この総論を、香川のリーダーが徳島の県民に対して呼びかけるべきだと思います。留意すべき点は、こういう話は徳島の行政にいくら言ってもダメだということです。
まず県民に直接語りかける。今の行政はどうしようもない前例踏襲主義ですから、「ノー」としか言わないし、また言えないでしょう。おそらく水問題に関しては、県民の方が正しい判断ができると思います。

***総論を合意してから各論に入る
 総論が合意できれば、その後で過去の清算(「利害」調整)をすればいい。「徳島は昔から吉野川の洪水に苦しんでいたのに、その時香川は何もしてくれなかったじゃないか」とか「徳島が早明浦ダムを造ったのに(実際はほとんどが国のお金ですが)香川は香川用水を引いて水をくれくれと言うばかりじゃないか」とか、過去からのわだかまりを清算することになります。
 おそらくこれは、お金しかないでしょう。「安全」については個人の権利を放棄すると言っても、実際今まで香川
は何もしなかったのですから、過去に徳島が負担したお金を持つとか、高速道路を一緒にやりましょうとか、悪かった所は認めて全部精算するしかありません。

 その後、水に関して個人の権限を放棄して、四国単位で水のことを考える”四国行政機構”を作り、リーダーを一人選ぶ。そのリーダーが四国4県に対し、必要なところに必要なだけ流すという早明浦ダムの水の分配のルールを決める、という順番です。

 最後に「感情」の問題は一部の人の間では必ず残ります。
これに関してはリーダーがリスクをとって、リーダーシップを発揮するしかない。「いつまでも過去にこだわっていても明日はない。ここは小異を捨てて大同につこう」とリーダーに引っ張っていってもらうしかないのです。
 すべてが氷解するにはかなりの時間がかかりますし、現実にはそんなに待てないので、リスクをとって見切り発車するわけです。「感情」の問題を解決する必要条件が「リーダーシップ」で、十分条件は「時間」だと考えるべきでしょう。
 まず、歴史的背景に縛られた今までの延長線上には解答がない、既成概念をなくして考えれば、誰も損をしない解決方法があることを総論で合意するのが第一ステップなのです。たぶん、代償は必要になるかもしれませんが、解決のためにはそうした過去の話(感情論)から入っていってはダメだと思います。
 歴史的背景を尊重し、話し合いをすれば水不足が解消すると考えているのでしょうか。
 おそらく「民主主義とはすべて話し合いで解決することだ」という幻想を持っているのではないかと思います。

 残念ながら「安全」「交通」「自然」に関しては、いくら話し合っても合意はないのです。ゼロサムゲームの今日の社会では誰かが得をして誰かが損をするという結果になることが多いからです。だから十分な討議の後、個人の権利を放棄して、リーダーを選んでその人に決定してもらう、そしてそれに皆が従う・・・、これがきちんとした民主主義なのです。

 前例主義の今の行政ではどのみち水を分けてくれないわけですから、おそらくまた第二香川用水とかダムとか貯水池とかいう公共投資の話になるでしょう。すると、また借金の山になります。日本は戦後50年間それをやってきて、500兆円の借金を作ったのです。皆さんはまだその延長線上で考えようというわけですか?。
 国債を出して解決するのなら出せばいいと思いますが、その先に待っているのは国の破産です。皆さんはその時、何と言われるのでしょうか?

***「へらこさ」は滅びの姿か (へらこいは方言でズルイ・ずる賢いの意)
 答は出さない、文句は言う、責任はとらない・・・こういう人たちの考え方が変わらない限り、沈みゆく香川を変えることはできないと思います。

 例えば、もし吉野川の水を引くことでダメージの方が大きいという解答が出て、川を守るためにみんなで水不足を我慢しようということになったら、この人は一番に反対するのではないでしょうか。あるいは借金してダムを造ろうという解答が出て、自分の子供たちにツケが回って消費税が25%に上がったとしたら、それにも反対するのではないでしょうか。一体、答は出さない、文句は言う、責任はとらない・あなたの答は何なのでしょう?

 次に考えていただきたいのは、今香川で起こっている問題はすべて、私たちの責任だということです。
私たちが選挙で選んだ人の答を実行しているのですから。それに対し、答は出さない、文句は言う、責任はとらない人のようにすぐ「どうしてくれるんだ」と言う人は「自分たちの責任ではない。誰かの責任だ」と思っているのでしょう。
 「どうしてくれるんだ」という感情論をいくらぶつけても、何も解決しません。「こうすればいい」という答を一人一人が自分で考えて出して、数字と数字をぶつけて議論すれば必ず解答が出ます。そしてみんなで出したよりよい解答に対し、みんなで責任をとる。一人ひとりがそういうふうになると、物事は前に進みます。
 答は出さない、文句は言う、責任はとらない、という香川特有の「へらこさ」はもうそろそろやめにしませんか。「へらこさ」は滅びからの免罪符にはならないのですよ。

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水不足に関する2つの記事

6月22日付・一日一言 (四国新聞)

 雲行きがちっとも怪しくならないせいで、雲行きが怪しくなってきた。梅雨に入っても雨らしい雨がなく、とうとう今日から第二次取水制限に入る。十一年前の大渇水より早いペースというから、何だか嫌な予感。

 まだ生活面では目立った影響はないが、ひと足早く高知県では、渇水の影響とみられるトラブルがあった。わき水の取り分をめぐって、刃傷ざたになったという。水不足に悩んできた香川県民には、人ごとではない。

 実際、一九七三年の高松砂漠の際には、もらい風呂を発端にした殺人事件まで起きている。早明浦ダムも香川用水もない時代、それだけ切羽詰まっていたのだろう。もっとも、その後もダムの水を徳島県と奪い合っているから、争いは広範囲になった。
 ところでこの年には、県が海上自衛隊の協力を得て、人工降雨の試験飛行を行っている。「成功」にはほど遠かったが、雨ごい踊りを奉納するのと同じように、わらにもすがる思いで取り組んだのだろう。

 その人工降雨も三十年余りを経て、随分現実的になった。特に干ばつに悩む中国では、日常的に行われているようだ。雨粒のもとになるヨウ化銀をロケット弾で散布して、雲を作って雨を降らせている。

 こんな技術があれば、今度こそ香川の水不足も解消される、と考えるのは少々甘い。環境問題に加え、もしかすると「あれは愛媛に来るはずの雲だった」「いや、あの雨の種は香川産だ」なんて争いに発展するかもしれ
ない。

 知恵があれば水不足も争いも避けられるはずだけど、人がそこまで進化しているかはどうも疑わしい。情けないが、今は祈るしかない。雨よ降れ。
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6月22日付(麺通団長 田尾氏の日記より)

ここ数カ月、四国新聞の「一日一言」がちょっと切れ味を増した感じがしてて私にはええ感じなのだが(時々気の抜けたみたいなのもあるけど)、今日の渇水ネタは「お!」と思いました。香川の水不足の原因の一つであ
る「人災」の部分にチクッと突っ込んで来た。

 香川の水不足についてはこれまで、香川県は雨が少ない、ため池でカバーしてきたが水需要の増加もあってとても足りない、その後早明浦ダムと香川用水ができて水不足は大きく解消された、それでも晴天が続くと早明浦ダムの貯水率が下がって渇水が起こる、香川はため池を埋めたり節水意識が不十分だったりして対策が甘い……という流れの論調が主流で、そういう報道しか流れてこないから、少なくとも私の知る限りほとんどの県民が渇水についてはそういうことだと思っている。

 ところが10年近く前、当時マッキンゼーから独立した経営コンサルタントだった都村さんが、詳細な調査データを集めて香川の渇水の大きな「人災」の部分を指摘したのである。
 指摘の骨子は「早明浦ダムの水は徳島の水と香川の水に分けられ、さらにそれぞれ所轄官庁ごとに分けられ、そのうちの一部は水がかなり余っている(海に流している)。しかし香川の生活用水用の水が不足しても、余っている他の所轄の水は回してくれない。この配分を柔軟に行えば、香川の水不足はほとんど解消する」というもの。

この提言は確か当時四国新聞でも都村さんのコラムで掲載されたと思う。さらに著書「なんしょんな!香川」でも紹介されたし、KSBの深夜放送で都村さんが自分でお金を集めて始めた番組でも紹介された。するとどうなったか。

 結論から言うと、この指摘と提言はほとんど無視されたんですね。というか、非難の声まで上がったんです。その非難の声はほぼ全て、データとその分析に対する論理的な反論ではなく、「節水意識も十分でないのに身勝手なことを言うな」とか「香川用水の恩恵に対する敬意が足りない」みたいな。
私の印象では、何かタブーに触れたみたいな反応でした(笑)。せめて「水は余っていない」という論理的なデータでも出してくれれば議論になるのですが、このテーマを議論することさえ許されないような印象で。何か同じような話が「平和」や「人権」などの分野でありますが。

 ちなみに私はそのテレビ番組で都村さんの聞き手役を仰せつかっていたのであるが、親会社から「出るな」と言われて、ただの聞き手だったのに1カ月で番組を降りました(笑)。以来、水不足のニュースは何度も何度もありましたが、水の配分の話題は私は見たことがない。
水不足については敏感な香川のマスコミですが、早明浦ダムの水の配分問題は、私は寡聞にして見たことも聞いたこともない。

 ところが今日の「一日一言」、水の配分のテーマをチクッと突いてきた。
朝、読んだ瞬間、私は「うわ、やった」と思いました。もちろん短い文章なんで深くは突っ込んでないけど、私だけがそう思ったのかもしれないが、すごく気を遣って言葉を選びながら、わかる人にはメチャメチャわかる指摘をしてる。

水の配分については、私は自分で確認もしてないので現状に問題があるのか、あるいは合理的な理由があって妥当な配分をしているのかよくわからないけど、この一日一言子、価値観が新しくて素直で、デキると思う。筆者がもし若手なら(若手だと知ってるけど・笑)、一読者のお願いですが、読者の皆さまも関係者も彼を古い価値観でつぶさないようにお願いします。私はファンです。
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投稿者の蛇足の長靴
 11年前の渇水のとき仕事帰りに、とある喫茶店で県知事を引退されたK子さんとマスター・客・私の4人で水問題の話題で盛り上がっておりました。
私が質問「高知県の水なのに徳島県の意見が一番強いのはなんでな?」K子さん「昔からの慣習があっての・・・」。(高知の筏から通行料取ったり、無理矢理宿に泊まらせたり、河口の田んぼや漁師の問題等々・・の話) 「徳島へお願いに行ったときも無理難題いわれたで。」・・(これ以上は余りにもひどいので記述できません。)

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