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2009年3月18日 (水曜日)

私が敬愛する「良寛さん」 について

 そもそも、良寛さんの書を見たとき 「なんと優しく、かつ、力強さを秘めた字なんだ!」不思議な筆跡に魅せられました。
 空海と並んで二大書家にあげられていることをのちに知りました。
  良寛さんの噂を聞きつけた殿様が書の教えをこうたとき、やんわりと断った話は有名です。
  歌人としても 素晴らしい歌を多く残されております。
 
『うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ』
は、良寛さんの最後の歌です。

良寛さんは、何でも素直に受け止められる大きさがあります。
しかし表面は屈託なく見えてはいても、その純真さ、素朴さはどれだけの苦闘を積み重ね得られたのでせうか。

正直に生きる事はどれほどの勇気がいることでしょうか。
私は「素で生きる」と解釈しております。

 先日NHKの番組宣伝にでていた「滝田 栄」さんは「素」でした。
木の中から「仏さまを取り出す」境地に到達され、一木作りをされています。
また、インドの山中で座禅三昧。しかし、家族の生活のため帰国。
(凄い、怖い)

かえりみて、自分が自分に正直に生きているといえますか?
取り繕い、欺き、野心、誤魔化し、自分を良く見せるために必死に嘘や偽りで自分を覆いつくして生きているのではありませんか?。

明るくふるまう良寛さんの裏側に
『心こそ 心惑わす心なれ 心の駒の 手綱ゆるすな』
の自戒があるのです。

良寛さんの歌集『蓮の露』は貞信尼さんによってまとめられました。
この本に良寛さんの『戒語』が書かれてあります。
九十ヵ条から成るその『戒語』には、人と対するときの心得が事細かく書かれています。
天衣無縫に見える良寛さんがどれだけ細かい事への心くばりをなされたか知る事ができましょう。

良寛さんが何より嫌ったのは、
『ことばの多き』
『口のはやき』
『ひとの物いひきらぬ中に物いふ』
『よく心得ぬ事を人に教ふる』
『いさかいする』
『学者くさき話』
『風雅くさき話』
『さとりくさき話』
『茶人くさき話』
『ものしりがお』
等等が嫌いでした。私も当てはまること多く心痛む思いです。

『知レルヲ知ルト為シ、知ラザルヲ知ラズト為セ、是レ知ルナリ』(論語)
  を自戒をこめて書き留めています。

『物知り顔』『したり顔』この不誠実さが良寛さんは耐えられなかった。
だからこそ純真な子供達と共に遊んだのかもしれません。
「大愚良寛」と名乗られた良寛さんと、浄土真宗の親鸞聖人は「愚禿親鸞」と名乗のられました。二人とも同じように「愚者」になりたかったのだと思います。

親鸞聖人は『善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり』と、

8代蓮如聖人は『心得たと思うは心得ぬなり。心得ぬと思うはこころえたるなり』と仰せられました。

良寛さんは、禅宗とか浄土真宗だとか、宗派を超越していると思います。
それゆえ、念仏の歌も数多く残っています。

『おろかなる 身こそなかなかうれしけれ 弥陀の誓いにあふと思えば』

『草の庵に寝ても醒めても申すこと 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

『良寛に 辞世あるかと人問はば  南無阿弥陀仏といふと答へよ』

良寛さんの辞世の句。

『うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ』

はこのブログのサブタイトルです。
母の葬儀の挨拶に使わせていただきました。(良寛さん ごめん)

良寛さんは、貞信尼さんに見守られながら亡くなりました。
貞信尼さんに宛てた言葉だと思えばこんな意味になるのでせうか。
(あなたにはすっかり、私の裏も表もみせましたよ。一枚の色づいた紅葉葉のように、はなやいだ気持でこの世を去っていきます。何も思い残すことはありません。どうもありがとう)

母の葬儀に使った意味は
(人間は死という無明の闇に包まれると、人格の表も裏も人に見せる弱い存在なのです。見栄などといっておれない状況に追い詰められ、死んでいくのです。立派な死に方、だらしない死に方なんかありません。死という事実がまぎれもなく万人に襲ってくる。)

つづきは また

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