« 2009年2月8日 - 2009年2月14日 | トップページ | 2009年2月22日 - 2009年2月28日 »

2009年2月21日 (土曜日)

黄砂は越境汚染

黄砂は砂だけでなく、POPs(有機化学物質)と共に飛んでくる。

韓国では中国に意義を申し立てているが、個人主義の中国人がまともな返事をする訳がない。日本政府も抗議しているのだろうか。ガス田などに絡めて外交手段に使えると思うのだが。

DDT,PCBなど9種類の自然界に存在しないものを人間が作り出した。

SOX(イオウ参加物)、NOX(チッソ酸化物)、CO2などである。最近、母乳からトキサフェン(中南米の殺虫剤)という日本にない物質が発見されている。

人間が作り出した物質の毒性は、①急性毒性、②慢性毒性、③発がん性に分類できる。

かつて、フロンやPCBは燃えにくく、分解しにくいことから、「魔法の物質」として持て囃された。

日本では、特別有害物質として厳重に保管するよう法規制されたが、いまだ大量に不法投棄されていると思われる。

昭和35年ごろのビルには当然のように使われていた。 1600Vの電力引込み線は必ずコンデンサー経由で200V,100Vに落としている。200V蛍光灯の安定器にもPCBは使われているものが多かった。

しかし、建築基準法が昭和35年に耐震強化の改正があり、その当時がのビルが大量に壊されている。

不法投棄は子や孫に病気としての遺産を残すだろう。

| | コメント (0)

「エジソンとニコラ・テスラ」

エジソンは努力の人として有名ですが、天才 テスラはあまり知られていません。
エジソンの部下だったテスラは交流送電、無線の原理、ラジオなど科学を一躍進歩させました。
エジソンとの確執も激しく、直流送電を採ったエジソン交流電気の電気椅子を作り、安全性を重んじたテスラを攻撃するなど名誉欲、金銭欲のかたまりのエジソンと袂をわけた。

テスラは電線を使わず電気を送ろうと考え実験をした。エネルギーの無線送信を目指していた。

テスラは天才ゆえか欲がなく科学の探求に人生を捧げた。
最後はアパートの中で鳩に見送られて亡くなった。

努力の人は褒め称えられるが、天才は常に孤独だ。

| | コメント (0)

「ビル・ゲイツと坂村 健」

マイクロソフト(MS)会長で大金持ちでケチのビルは有名ですが、コンピュータのOSのトロン:TRONをウィンドウズより早く開発し、特許をとらず世界に開放した東大教授の坂村 健さん
は知らない人が多い。

TRONは携帯電話、家電、自販機、自動車の中などに使われております。

坂村博士は民間共同プロジェクトを立ち上げるよう、政府、各方面に働きかけたが、決断の遅いお上などの影響で迅速に立ち上がらなかった。

TRONを学校教育のパソコンに導入の話があったが、スーパー301条か、メーカーの反対かよく解らないまま立ち消えとなりました。
その後、MS社からパソコンOSとしてWIN95が発売されビルは大金持ちとなった。

国が主導をとりTRONでパソコンのOSを作りWIN95より早く発売していれば財政も潤っていたのにと悔やまれる。これは明らかに国の責任でしょう。それとも、官民一体のプロジェクト立ち上げを察知したアメリカが阻止したもかもしれない。

WIN95は前画面が見えているが、トロンは見えないだけで、戻る操作をすれば前画面になる。素人目でもWIN95がトロンのパクリだと思えてしまうのは私だけだろうか?

敗戦国の悲哀がこんなところにもあるのですね。

知られなくてもいい、お金持ちにならなくてもいい、人に役立つことをしたい人生てイイ人生ですよね。
あなたはビルと坂村さんのどっちの道を選ぶのか。

| | コメント (0)

2009年2月19日 (木曜日)

日本農業の行く末は・・・???

農業関連組織にお勤めのMKさんから難解な質問が届きました。

①農業は自然を守る役割がある。
②食料自給率が39%と低いところにタイミングよく景気悪化でリストラがでたので休耕田を復活し、農業を遣ってもらう。
③採算を無視して先祖の田んぼを守っていくのは自分としては心の葛藤がある。

 大体このような質問として整理させてください。
  詳細な部分は独断でカットしました。
 
結論から申し上げると私は、解答を持っておりません。(笑)
私も悩んでいるのです。(がっくり)

しかし、思考停止してはいけません。問題意識を持ちつつ生きていきませう。
 そこで、撫し付けは承知のうえで思いつくまま書きます。
したがって、理路整然の反対、曖昧模糊かつ混沌状況となるのを前もってお断りしておきます。

 まづ、MK氏は、思考が若干否定的である。「お先真っ暗」と考えないようにしませう。

 先の戦争では、南方方面で食糧不足から戦友の肉を食べたといふ話からすれば今は日本は恵まれている。(蛇足:ジョジ秋山の漫画に、人肉を食べなければ生きていけない状況を描いた力作がありましたが、過激すぎるという理由で連載中止となった。)
 世界の3分の一が飢餓状態のなかで食べ残しをあるいは、賞味期限を過ぎてもいない弁当をコンビニは捨てている。そんな出鱈目な国が世界中にあるとすれば日本とアメリカぐらいでせう。
 さすがに日本でも捨てるコンビニ弁当を駄々で貰ってきて家畜の餌にしている農家もでてきました。 「それでいいのだ。」

●まず②から考えてみませう
 自給率を低くしたのは政府の責任です。
車を売る代わりにアメリカの飼料を買わされたのは国際貿易会議で決め、その付けが農業に回ってきたということです。

 中山間地に突然、似つかわしくない建物や見晴台などがありますが、減反の代償としてお上が作り、「これで我慢してな・・。」といふものです。建物や道のどこかにその旨の名盤があります。
 あれでお上は、百姓に減反の付けを返したと考えています。ですから、今更、減反反対と大声を挙げるのには手遅れなのです・・・よ。

 マスコミで「自給率UP」を言ってる知識人がいたら、「私は時流に乗って発言している馬鹿です」と捉えてください
  食糧安保については、私が都村氏に質問し、「いまだにこんなことを考えている人がいるのか・・・信じられない」と解答がありました。
  解答の概要は、狭い国土と農地でビジネスとして成立しないので外国に頼らざるをえない、もし、やるとしたら日本人が外国の土地で作物を作り日本へ輸出する。(詳細は長生塾のQ&Aを見られたい)ブログの「お気に入り」から探してチョ。
 
  ビジネスとして成立しない農業で、更に、コストのかかる休耕田で農業もやったことのないリストラされた人が・・・あとは説明不要。
  要するに、お上が「働き場所はあるよ」と派遣の攻撃から逃れる発言でしかありません。
  お上は縦割りですから、労働省が「休耕田で働いては?・・・」といっても、農水省は「餓死しても知らんぞ」と思っていても知らぬふりを決め込んでいるのでせう。
 
 【結論】 したがって、②は成立しません。
 
 
●つぎに①を考えてみましょう
 自然破壊の最初は狩猟から農耕に変った時です。
  古代、人口が増え、狩猟で賄えなくなったとき、日本では縄文時代後期から弥生時代にあたります。
  縄文時代は栗の木を植え食糧にしていました。
  弥生になると稲作などの五穀を栽培し始めました。自然のままより、人手をかけ、過保護にしてやれば収量が増え、実も大きくなるのを経験から学び、2000年後の今日に至っている。
  遺跡から水路、畦などが発掘されています。それらは四角い田んぼでなく、自然の高低や水路に逆らわない造りです。当時は機械などなく、今の中国貧農民と同じように、鍬で耕していた。鍬で稲作が出来るのは一反一人必要です。中国は一人っ子政策をとっていますが、貧農で4反あれば両親と子供2人は必要です。2人目は戸籍が無いようです。・・漏れそうなので厠にまいる。
ついでに、犬の散歩と注文家具工房の友人から大鋸屑は産廃になるからというので「引き取ってやる」と今日取りに行った大鋸屑を燃やしていたのを確認にいってました。

「農地は自然のダムだ」と百姓は主張しております。
そのとおりでしょう。
もし、水田がすべてアスファルトかコンクリートだったら雨は何処へ流れていくのでせうか。河川は溢れ、大雨が降れば家が流されるのは必定でせう。

 この百姓の言い分は正しいが、農薬、科学肥料、家畜の糞尿については自然破壊している。
有機無農薬栽培の「落とし穴」については小生のブログに書いたとおりです。
 
  昔、私の村では200戸が黒牛か乳牛を飼っていました。
餌は、稲藁、オカラ、フスマ、干し草などで、配合飼料など高くて買えませんでした。自然のものを餌に与えていた乳牛の乳量は、配合飼料の1/3です。
鶏も農家は数匹かっていました。屑米など自然の餌では、卵を産まない日もあります。

 昔は、自然を守り、共生していましたが現代では破壊者といわれても返す言葉もないでせう。
 
  なにか解決策はないのか? 考えてみましょう。
 
農家が循環型農業を行う
 これは守田志郎教授(私は大学時代先生のゼミに所属していました)の唱える「小農はなぜ強いか」で書かれている農業です。
  小農は自給自足型でもありますので、家畜を飼い、畑に季節ごとの多品種の野菜を植え、稲も作り、山があれば、腐葉土や薪を調達し、TVでやってるトキオ「ダッシュ村」のやうな生活が基本です。
 
  今の農業のやうに、レタスを4反作れば10年に1回は高値で儲けることもできるが、農作業が集中するので同じ作業を長時間強いられますから、健康を害します。これは私の経験です。 
  反面、小農はいろんな作業を少しづつやるので、かがんで植え付けのあと背伸びして収穫とか、飽きたら他の作業をする。これは、肉体と精神両面にストレスが少ないです。
  耕作面積の少ない方にお奨めします。

  人生は楽しく生きませう。
  生きるとは死があるから生きているのでしょう。同居しているんですよ。
  「散るときが 浮かぶときなり 蓮の花」
  「明日あると 思うな仇桜 夜半に 嵐の吹かぬものかは」
 
 
●不耕起栽培に切り替える。 稲はもとより野菜も。
 農業・農耕は英語ではアグリカルチャーです。英語の意味は「耕す」と辞書にあります。古来より地域を問わず農業とは土を掘り返す歴史でした。
 
  いつものやうに?話は逸れますが、「農業」といふ言葉は大嫌いなのです。
一次産業とやらにはめ込まれたが故に、2次産業、3次産業と同列視され、効率だのコストだの、損益分岐点だの、・・・と経済学者やお上や世間が声高に・・言うのです。
  農作物が工業規格の扱いをされて当然という風潮になり、植物の声を聞こうとしなくなるのが怖い。
 農業、魚業は土地や海から離れてやっていけないといふ宿命にあるのです。
更に、自然と共に遣り繰りを付けなければいけないのです。
大自然の前で、人はか弱い存在でしかありません。だから私は、「農家」「漁師」と呼称を変えて欲しいのです。
 
問題に戻ります。
 

篤農家といわれる人ほど何回も田んぼを耕起します。
秋、冬、春2回、代かき2回。
それを一度も耕起しない稲作に替える。

●不耕起栽培の先駆者は愛媛県伊予市の故 福岡正信氏が世界的に有名です。
著書に「藁一本の革命」 「自然農法」等がある。
籾種を泥団子にして秋に蒔き、麦を刈る頃には稲が芽生えている。
麦刈りが終われば田に水を張る。
この繰り返しです。
 泥団子を木の種に変えて世界中の砂漠化している所に応用し、外国から表彰された方です。
 輪廻転生・食物連鎖を唱え、無肥料、無農薬を完成させたが、機械化できないのが欠点です。氏の下に多くの若者や外国人まで押しかけ、山中の庵で教えを聴き、田んぼで実践をした。晩年は、一種の宗教化した境地になった。

●泥団子に替え、昔ながらの5葉苗を植えようと提唱したのが「 岩澤信夫」氏です。
このやり方を「不耕起移植栽培」という。

 岩澤氏はもともと農家ではなく、道楽として農業研究を始めた、自ら変人といっている。
 耕すほど作物がよく育つと言われてきたなかで、「耕さんでも米はとれる」と触れ歩いたのだから、慣行栽培(普通の作り方、農薬と科学肥料を組み合わせた近代農法)で長年栽培している農家、特に真面目に耕す篤農家にとっては、真逆なのだから馬鹿にされ、惰農で米が1反10俵できるか??と相手にされなかった。
 
  「不耕起移植栽培」は1反8~9俵を目標にしており、反集は減るが、労力が大幅に軽減し、有機肥料すら投入しない(くず大豆と糠は撒く)無肥料かつ完全無農薬栽培法であるから、資材費がかからず、そこんところを換算すると10俵以上になる。
  さらに、慣行栽培は莫大な石油資源に依存している(都村氏も指摘)が、不耕起移植栽培は畦マルチと田植え機だけしか石油資源に頼っていないECO農法といえよう。
  「やがて石油は枯渇する」
 
  氏も21年試行錯誤を続け、8年ほど前にこの農法に辿り着いた。それまでは多くの農家の協力があり、失敗も多くあった。丸亀市亀水町で不耕起移植栽培を独自に行っていた方がおられ、岩澤氏も訪れ、ふかふかの田んぼに感激したそうです。
  私は、その方のお宅に数年前訪れましたが、すでに高齢で寝込んでおられました。田んぼは他の人に預け、慣行栽培に変っていました。家族の方にお聞きしても「変ったことしよるきん近所から変な目で見られよったんで。辞めてよかったわ」との言葉が返ってきて、別棟で寝込んでいる先人が哀れに感じられた。
  「やるには度胸がいりまっせ」
  「愚者になりきる覚悟」
  「家族、部落、友人から馬鹿、迷惑扱いされてもやり切る決意があるか」
  「県の普及所の指導法と違った栽培法をして、失敗したら農業共済金が出るのだろうか」
 
「不耕起移植栽培」のポイント
 簡単にいえば昔の栽培法に戻り、田植え機、コンバインなど利用できるものは利用する。
   
  ・苗・・・稚苗はやめ、5葉(稲は5葉で生理機能を分担している植物だから)までの太くて背丈の低い苗にする。1箱70グラムの条撒きとする。低温で長く育てる。昔の苗代もそうであった。
   観葉植物でも同じですが、毎日茎をナデナデしていると太い茎になる。男のアソコと同じなのだ。(笑)私は萎えていますが??

丈夫な苗は、運ぶときも簡単です。苗箱3枚ぐらいなら直接重ねてOKなのだ。

 ・刈り取りが終わった田んぼを潅水する。
   トラクターで藁を鋤きこまないのがポイント⇒鋤き込むと土中でガスが発生しCO2がでます。 後はイトミミズやトロトロ藻にお任せ。
 参考までに申し上げますが、藁が土になるのに約3年、籾殻は7年、大鋸屑は30年かかります。 私が友人の大鋸屑を撒いたまま漉き込んだ場所の稲は背丈が無く、成長が抑制されたようです。たぶん、大鋸屑から木の樹液がでたのが影響しているのでせう。

  以上が要点です。詳しくは、本を買ってください。
 
●「不耕起移植栽培」の私にとっての問題点
 ・まず、冬季に水がないこと。
  それと、レタス農家にとっては、隣の田んぼに潅水されると迷惑なのです。
  近所の理解を得ることが大切ですが、お年寄りの篤農家ほど理解を得にくいと思います。
 
  ・不耕起移植栽培用田植え機が買えない
   以前は三菱からディスクが付いた機械がありましたが、今は井関から5cm幅で耕運する小さな爪付き(慣行栽培のときは持ち上げられる)の6条しかありません。価格は250万円もするし、農地の少ない農家向けに「不耕起移植栽培協会」から4条を作るよう要請しているのですが・・・景気も悪いし
・県の普及所が指導する慣行栽培と違うし、
・JAとしては消毒してある種子を苗にしないとカントリーに持ち込めない(「さぬき米」ブランドを維持するため)、
・しかし何といっても最大の障害は、県とJAが強制的に勧めている「1支店1農場化構想」でせう。

●最後に問題●③ですが
 すでにこれまでの考えを整理すると答えはでてくるのでは。

◎お上のこれまでの農政が脳性麻痺かしらん、「増産に励め」と言った下の根も乾かぬうちに、「減反せよ」と長期展望も何も無く、そんなお上が「低コストを図り、効率性を求め、産業として成り立つ農業とするべく大農場化構想を推進する」、「会社の農業算入をやり易くする」などのお題目の羅列なのだ。
 
  2年ほど前、お上とJAが共同して小学校で大農場構想の説明会があった。
最後に「助成金があれば世界一高い人件費の日本で農業はビジネスとして成り立つのか?役人言葉の説明、補足をせず YESかNOだけでお答えください。」と私は、か細い声で恐る恐る質問した。
役人は、案の定、意味のない説明を繰り返しただけだった。農家の方からア~ア~と溜息がでて無理やり閉会となった。
具体的なプランが無いことを曝け出したのでせう。
  挙句「リストラされたら農業に挑戦しよう」は、農業は他産業の「姥捨て山、爺捨て山、派遣捨て山」 なのでせうか~。(深沢七郎がビックリして浄土から落ちるぞ)(笑い)
 
  そんなお上に貴方は付いていくのですか。手のひらを返されてもワシは知らんぞ。
 
 
◎私はこうする・・したいな~
・減反しているので4反しか稲を育てていない。減反反対は部落に迷惑がかかるのでしない。
  (減反政策は村八分政策という卑劣なやり方です)
・日本の農地は気候、風土から稲作に向いているので、隣の田んぼに迷惑がかからない範囲で不耕起移植栽培をしたいが、田植え機が高くて買えないので、「半不耕起移植栽培」を2反ほど試してみる。
・成果があれば4反すべて「半不耕起移植栽培」とする。
・数年経って土壌が改善されたら「不耕起移植栽培」に移行したい。
・命ある植物に話しかけながら自然の摂理に逆らわない農家になりたい。
・稲作は1年1作なので死ぬまで10回しかできない。たった10回しか・・・
・他人から、家族から馬鹿にされてもあと10回なのだ。
・守田博士の小農を目指したい。
・宮沢賢治のやうに苦にもされず、だだ静に笑っている人間になりたい。
・人は「死」の苦しみから逃れられない「無明の闇」を抱え生きている。死を受け入れ今生かされている「生命の大歓喜」に浸りたいものです。
・野垂れ死にする覚悟を喜んで持つ。

●MK氏へ
 自己責任で選択するしか道はありません。
  何が大事か、何処に視点を置くか、私は強制できません。
  最後に、「思考停止」だけはしないように申し上げて終わりとします。
 
  乱文失礼

| | コメント (0)

仕事をどう考えて働けばいいの?

●論語にある
子曰「行くに径(こみち)によらず」
    意味は自分で考えろ。
   
●「仕事とは誰かのために喜んで貰う為の行為である」
   これは解るでせう。
   
●現代的にいえば「顧客価値創造」である。

●近江商人の「三方よし」の理念を持って働けば、やがて信用となり、貴方や会社にとって貴重な財産になる。

【注】BUNちゃん先生がよく言っておられる「三方よし」とは売り手よし ・ 買い手よし ・ 世間よし
 もう少し詳しく説明しよう。
   
同じ「当たり前」でも大違い
 何度も同じような不祥事を起こしたり、監査・検査機関から繰り返し指導・勧告を受けている会社があります。(私はそんな組織に勤めていました)
  こうした会社の社員が考えている「当たり前」は、企業というのは利益を生むことがその第一の存在理由であり、多少、法から逸脱しても非難されるようなことにならなければ、ともかく利益を挙げることが優先されると言うことでしょう。

企業の社会性
 すべての企業は市場経済の中で活動し、利潤を挙げるべく努力しています。
  この市場が正常に機能するためには、3つの条件が満たされなければならないと言われます。
  それは「自由」であると同時に「透明」かつ「公正」でなければならないということです
 また、市場で活動している企業は法人です。
  我々のように生身の人間を法律では「自然人」と呼び、あたかもヒトのように権利と義務が付与される存在と看做されるのが「法人」です。
  企業買収の対象となるなどモノとしての側面を持つと同時に、生産設備や土地の所有者であったり、契約を結ぶ主体となったりするように、ヒトとしての側面も持っています。

 企業はヒトであると同時にモノでもあるのです。(私は、前に会社はバケモノだといいました。)

  会社は利益を生むための道具に過ぎないと考えるのは企業のモノとしての面のみを見ているに過ぎません。
  企業はモノとしての側面を持ちつつ、法的にヒトとして擬制された当初から、ヒトに求められるような社会性を期待されている存在です。

ゆえに企業には社会的責任を果たすことが求められているのです

 企業の法令順守から社会貢献までを含む社会的責任(CSR)は、大まかに次のように分類されます。
  ①主に法令の文言を守る「狭義の法令遵守」(悪事を避ける、詐欺的であってはならない、盗んではならない、法令の文言を遵守する)。

  ②法令の精神まで主体的に遵守し、社会の求める人道的要請に応える「倫理実践」(他を傷つけない、地域社会に害を与えない、人権を尊重する、よく配慮する、正しいことを行なう、正直である、公正である)。

  ③主体的に自ら犠牲を払いながら社会的善の実現に貢献する「社会貢献」(他を助ける、地域をより良いものにする、人間の尊厳を高める、勇気をもって取り組む)。

  このように分類されるのですが、これは法令の文言を守れたら、次は法令の精神を遵守し、最後に社会貢献へとまるで段階を踏んでいくように捉えるべきではありません
  「ウチもようやく余裕ができたからソロソロ社会貢献でもしよう」と考えるのは理念を理解しておりません

「なんでや??」と思った方は続けて読め!!!。理解せよ。

本業を通じて社会貢献
 社会性を意識した企業が、自由、透明かつ公正な市場経済の中で利益を生んでいるとしたら、それはその企業の製品なり、サービスなりを必要とする相手がおり、その企業の存在が肯定されていることを意味します。

  また、企業がその社会性を意識するとは、日々の企業活動自体において、社会からの要請を満たすことを意味します。

  例えば、社内であらゆる差別をなくす、地域の必要に配慮する、顧客情報を保護する、省資源・省エネルギーやリサイクルを進める、また、持続可能な成長を目指した活動を進めることや下請業者や納入業者についても同様の施策を求めることなどです。

  だから利益をどのように活用するのかではなく、どのように利益を挙げているのか、まさしく「本業を通じて社会に貢献」することが企業には求められているわけです。
  これを実践し、賞を受けた企業が「当たり前」と感じる所以です。

 一方、不祥事を起こしている企業の社員が考える「当たり前」は、社会性を意識していない企業「当たり前」、あるいは自由、透明かつ公正でない市場経済における「当たり前」ということになります。

 この「当たり前」は過去のものになる兆しがあります。それは社会の情報化とグローバル化がもたらすものです。

 インターネットを始めとした情報化がますます進み、企業情報は瞬時に広まります。また、パート、アルバイト、派遣社員、契約社員、請負社員など正社員ではない社員が増加しています。会社の従業員の3割以上は非正社員です。企業の隠したい情報も漏れやすくなっていることは間違いありません。近年、内部告発によって不正や不祥事が次々と露顕したことは、こうした状況を示しています。
  また、その功罪は別にしてグローバル化がもたらすものは、最終的には国家や地域といった単位を超えた共通ルールの成立に至るものと考えられます。

 その際には談合を行なった方が儲かるようなローカルルールの存在は不可能になるでしょう。

●「三方よし」の現代的意義
 さて、江州商人の「三方よし」、中でも「世間によし」は「社会貢献」そのものであり、全てのステークホルダーと信頼関係を築くことを意味していると思われます。
  この実践の基盤を為す考え方は、どのようなものでしょうか。
  それは「家の永続」だと思われます。

 一時の、目先の利益にとらわれて、自らの存立の基盤である人間関係を崩し、世間を疲弊させるようなことがあっては、結局、元も子もないという、商人道なのです。
 長期的な損得を考えたに過ぎないという、皮相な見方もできるのですが、誰もが恩恵を蒙り、泣く人がいないような関係、CSRの目指す究極の姿でもあります。
 こうした長期的展望に基づいた経営は、CSRのすべてを含みこんでいるのです。

 社会の情報化とグローバリゼーションの進展が市場経済を、自由、透明かつ公正なものへと導きそうだと述べましたが、反面グローバル化は全ての国、企業、個人が一蓮托生だとも言い換えられます。

自分のみ、自社のみ、自国のみに良かれと望むことは、結局、自分に、自社に、自国に良い結果はもたらさないのです。

 「家の永続」から「地球の永続」という視点を獲得して、「三方よし」地球規模でもたらすことが現代企業に求められているのではないでせうか。

| | コメント (0)

« 2009年2月8日 - 2009年2月14日 | トップページ | 2009年2月22日 - 2009年2月28日 »