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2010年9月23日 (木曜日)

「わたし」などはいない、錯覚である

自我は錯覚です。

フランスの哲学者・デカルト
「我思う、ゆえに我あり」
と考えた。
真実を追究するために、彼は「方法的懐疑」を用いました。
まずは全てを虚偽のものとして疑って、それでもその疑いを否定できない限り真実ではない。
疑って疑って・・・最終的に否定できなかったのは「疑っている自分が存在する」証明である。

この考え自体が間違えです。

仏教には唯識論があり、そこからアラヤシキに落ち、さらにその種にまで自我を削り落としてゆきます。行き着くところは「無我」です。

「諸行無常」はご存知ですね。
それに続くのは「諸法無我」です。
我は無いということです。

認識するとき、私というフィルターを通すので誤った認識をします。
欲望・怒り・無知の3毒でもって認識してしまいます。
別のクダケタ言葉なら、好き・嫌い・無関心と言い換えてもいいでしょう。

苦悩から逃れるためには、
わたし などはないと気付くこと それが始まりです

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