麦作りに挑戦
僕が中学生のころ、春の長雨で麦刈りができず、やがて、麦は倒れ芽をだしたり、腐ったりしました。
麦は全滅でした。
さらに、その後へ田植えが待っているのです。
農家はあせります。
麦藁は湿って燃えないし、当時はトラクタなどなかったので、手狩りして、なんとか田植えをした思い出があります。
それ以来、農家は麦を作らなくなりました。
もともと、麦の価格が安くあまり儲けにならなかった面もあります。「貧乏人は麦を食え」と言った池田総理大臣の言葉は有名です。
事実、貧しい農家は米を全部売り、麦を食べていました。米と麦の割合で農家の懐具合が分かった時代でした。
白いご飯はご馳走だったのです。
皮肉なことに、明治になるまで「脚気」がビタミンBの不足だと分からなかったそうです。14代将軍(篤姫の配偶者)は脚気で死にました。白いご飯ばかり食べていたのが仇となったのです。 玄米とか麦などの雑穀を食べていれば脚気で死ぬことはなかったでせう。
加えて、人手不足が徐々に表面化していました。「金の卵」と煽てられ、都会へ、工場へと若者が居なくなっていた時期でした。
だから、僕は麦の作り方を知らないのです。
休耕田に草を生やしてもしょうがないので、麦を作ってみようとJAに申し込みました。
肥料、農薬、除草剤、種の申し込み用紙をくれました。どれが要るのか分からないまま少なめに注文しました。
その後、講習会があったのですが、国の普及所の方は「皆さんご存知だと思いますから要点だけ説明します。」と言ってプロジェクターを10分ぐらい見て終わりでした。
僕はここで聞いても仕方がないと思い、ネット上に親切なHPがないか探しましたが国の普及所と同じような内容で、詳細なHPはありません、というか検索を止めました。
なぜなら、水田あとに麦を作ることを前提にしてあるから僕は馬鹿らしくなって、調べるのを止めました。
替わりに、農水省のHPを調べました。
調べたのは、①アメリカを始めとする小麦の不耕起栽培方法について、②菌根菌グロマリンについての紹介、③ネオニコチノイドの恐怖について、です。
結果、①については簡単に書いたものがありました。②③は見つかりませんでした。
どっかに隠れるように書かれているのかもしれませんが。
麦に戻すと、春になって草と水との戦いです。
そのため、除草剤は、種を撒く前、撒いて麦の芽が出る前、出てから後の3回除草剤をかけます。
代表的な草として、すずめのえんどう、からすのえんどう、すずめのかたびら、があります。
これらの実が麦と混ざると、大きさが同じなのでコンバインでは選別できないのです。そうなると、JAでは買ってくれません。
それと、麦は米のように早刈りすると、品質が落ちます。しかし、遅らしたばかりに、長雨が続くと刈り取りができず、昔のように腐らす可能性があります。ゲリラ豪雨でも来れば壊滅するでしょう。
麦は水田あとへ作るのは駄目です。
グロマリン、不耕起を活かした栽培技術を早急に作ることが必要だと思います。
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