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2010年10月 8日 (金曜日)

新稲作技術SRIとは

新稲作技術SRIの信憑性を確認するための土壌物理学的研究
東京大学 大学院農学生命科学研究科 国際情報農学研究室

などを参照されたい。

東大のHPから冒頭部分を紹介する。

イネの大幅な単収増加をもたらす低投入持続的稲作技術であるSRI(System of Rice Intensification)は,1983年にマダカスカルで発明され,1999年以降広く世界で知られるようになった。 SRI稲作の基本原則は,移植の際に乳苗(10日くらい)を広い間隔で1本植えし,間断灌漑を行うことである。


キューバの事例や農文協から本も出ている。
岩澤信夫さんが20年かけて不耕起栽培をほぼ完成させた。
私も真似事をしているが、春になると水がなくなり生物が死んでしまう。
水が少なくてもやれる農業がSRIです。
マダガスカル(韓国が99年借りている)やキューバに広まり、東南アジアの水が少ないところへも普及している。

この農法は稲の分けつ力を最大限引き出しており、日本人が観れば異常だ!と思うでしょう。
なぜ、収穫が多いのか、科学的には説明されていません。それを東大がやろうとしている。米は水稲と陸稲のDNAを持っているので、両方のゲノムを動かしているのかも??

不耕起普及協会と真逆のやり方なので、研究を始めた。

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2010年10月 7日 (木曜日)

稲刈りの準備~コンバインの手入れ

田植え日と稲刈り日を記録して、それに稲の成熟度などを考慮してコンバインで刈る予定をたてます。今年は猛暑なので稲が早く熟したので4~5日早く刈るようJAは指導しています。

正確に刈る日を決めるとなると、籾の熟れかた、乾燥(水分)度合い、田んぼの土が柔らかすぎないか(コンバインが動ける状態か?)、などが万全だとしても、天気が雨だったり、前日、前々日が雨でぬかるんでいたら中止となり、刈り取りの適期を逃すことになる。

それに、部落中が一斉に刈り取りするのが都合がいいのです。
さもないと、害虫や鳥が残った田んぼへ集まってしまい収穫の1~2割ぐらいは食べられてしまいます。

昔のようにハゼ掛け(ハサ掛け)し、自然乾燥すれば乾燥中に葉や茎の養分が籾に集まり10アールで30キロは増えるといわれておりましたが、今、それをやると、鳥の餌場になってしまいます。
また、気温が25度を超える時期にハゼ掛け(ハサ掛け)すると直射日光で籾が割れてしまいます。コシヒカリなどの早稲はハゼ掛け(ハサ掛け)できないのです。

そうゆう風に全体がシステム化されているのです。

実は部落で稲刈りしてないのは私だけです。
昨日、全員コンバインで稲刈りを終わりました。
去年もそうでしたが、害虫が私の田んぼに集まってきます。
思い出すと、焦り、脅迫観念が襲ってきます。
お陰で、今朝から食欲がなくなっています。

田んぼはトロトロ層(無肥料、除草剤不要の元)なので乾くのに時間がかかります。トロトロ層は保水能力が高いので田植え後の水管理は簡単です。稲が水を必要としないときは水が減りにくく、生き物のために水を入れています。生き物が肥料になるのです。

去年より早めに落水をしたのですが、先日雷雨がドサッときて、田んぼはまたトロトロになってしまいました。コンバインがはいれないので我慢して待つしか方法はありません。まだ、籾の水分が多分23%以下になっていない(確認していません。するのが怖い)のが救いです。朝夕の葉露で、稲が水を吸い上げているのが分かります。

籾の水分が高いと乾燥に時間とコストがかかります。更に急激な乾燥は旨みも逃げていきます。だから、ハゼ掛け(ハサ掛け)をしていたのです。
そんなことは関係なく、部落の農家は一斉にコンバインで稲刈りをします。
「ひこばえ」が生えている田んぼは、稲刈りが早すぎたのでしょう。

コンバイン優先の農家はいつも土を固くしています。穂がなる頃、追肥をしてV字栽培をします。これが、慣行農法のモデルです。、先日の雷雨などで田んぼがぬかるんだりしません。
水をはりませんから除草剤、肥料、農薬は欠かせません。

無肥料、無農薬を理想として、不耕起栽培のまねごとをしている私などは、農家のシステムから逸脱し、収穫前までは皆が褒めてくれるぐらい出来がいいのですが、最後の収穫で駄目になります。

昔は、梅雨に田植えし、25度をきって涼しくなってからぬかるみのある田んぼで稲刈りをし、ハゼ掛け(ハサ掛け)をしていました。

いつの頃からか、早稲のコシヒカリが新米として人気がでると、田植えが5月の連休に、稲刈りが8月下旬頃になってきた。210日の台風前に稲刈りを終える段取りです。暑い時期ですから、籾を急速乾燥させなければ蒸れて腐ります。

こんな状態でできたコシヒカリは本当に美味しいのでしょうか???
炊飯器の「もっちりモード」にして、餅米を少し入れたほうが美味しいのではなかろうか。
私は、精米を5分か7分づきにして黄色い生命力のある胚芽を食べることをお奨めします。慣れたら、玄米にしましょう。

コシヒカリは機械がないと作れない米です。
石油がないと米が作れません。
子供や孫の世代になっても飢餓にならないような米作りをしないと駄目でしょう。

効率や助成金で済む問題ではないのです。
無肥料、無農薬の米つくりや、水が少なくて済むSRI農法の確立が急務なのではないでしょうか。

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2010年10月 5日 (火曜日)

パソコンまだ買っていないのに~~また~

PCは7年を過ぎ、安物のモニターがちらつきはじめた。
目が疲れるのは、中年にはこたえるのです。

購入予定のiMACの27インチでCPUはインテルi3です。
CPUが少し物足りないのですが、i5にすると、メモリーも4Gから8Gに増設しないと意味がない。この費用が4~5万かかるのはちと無体なのだ。
オリジナルの16万でソフトが1万いるので、我慢しよう。

インテルは32nmで咲き年暮れから今年にかけて iシリーズを売り出したばかりなのに、早くも次期CPUが来年そうそう出るらしいのだ。
こいつは、これまでのは実験か?と思うようなCPUである。おそらく、主流になること間違いなし

だとすれば、iシリーズはどうなるの? なんだったの??
私の決断は鈍るのであった。

現在のインテル
http://www.intel.com/jp/products/processor/index.htm

新しいCPU
http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1009/14/news079.html

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稲刈りの準備~落水

品種や植えた時期、肥料の関係で半分以上の稲刈りが済んでいます。
異常な猛暑で4~5日稲刈りを早くしろとJAに貼ってあった。

田んぼの水をなくし、機械が入れるよう土を乾かし、硬くするために、数日前落水口を空けた。
昨日から雨が続き私の田んぼは元のトロトロ状態に戻ってしまった。

手刈りのころは、落水しても田んぼは湿っており、稲は生きていた。
今は機械を入れるためかなり乾燥させるので、稲は枯れていく。
乾燥しすぎのほうが、カントリーの乾燥料が少なくて済むし、機械も使いやすい。

数年前、雨が続きコンバインが田んぼで立ち往生したことがあった。横倒しになったコンバインもあった。こうなると趣味の粋ともいえる赤字の米作りも大赤字となって、廃業となる。

温暖化や猛暑はもとより、瀬戸の夕凪で寒暖の差がない場合は、高温に稲をさらすことは品質劣化に繋がるから、田植えを遅くしろとJAや公務員の県農業普及所の職員さまが言っている。
しかし、刈り取った籾をカントリーに持っていくのだが、10月20日頃が最終日なのです。

私のように24日に田植えをした。
部落で最後なのであせって24日にした。
6月末から7月にかけて田植えをしようと思っていたのだが、カントリーは多分例年どうりに10月20日頃に終わってしまうと遅い田植えをした場合、カントリーが閉まってしまう恐れがあるから、あせって24日にした。

私のやり方だと、籾を長期間籾が透きとおるまで水に漬け、鍛えながら苗作りを5・5葉まで行って、3~4本植えを行い、藁の透きこみもなく、肥料・除草剤はJA指導の半分以下にした。去年まで3年かけてJAの量を少しずつ減らしてきた。
来年はどこまで減らせるか???

指導がばらばらなので困るのは、百姓だ。
ばらばら指導はお上の得意技である。それも不可能なことを押し付けてくる。

外来生物が在来種の生存を脅かしている。
アメリカザリガニ、ジャンボタニシ、ナンヨウカメムシが有名です。
共通して図体がでかいから、よく食べる。食い物がなくなって減少するだろうが、それまでに在来種が生き延びられるか心配だ。
植物でいえば、セイタカアワダチソウは最初ススキを超える高さだったが、数年すると背丈が小さくなった。そうしないと、全滅の危機がやってくることをセイタカアワダチソウが判断したのでせう。
植物にも意志があります。

彼岸花もようやく満開になり、キンモクセイは花を咲かせたがまだ匂わない。秋はまだまだ序の口なのでせう。

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2010年10月 3日 (日曜日)

喪中ハガキ~3

最後に前回までのをより具体的に書きかたを変えてみよう。


《 喪中ハガキを出すべきかどうか 迷っているあなたに》

 そもそも喪中ハガキというものが今のように普及したのは凡そ30年ほど前のことと記憶しています。
『冠婚葬祭』のマナー本の普及と、葬儀社さんの付加価値的CMにもよるのでしょう。
出すか出さないかは、あなたが本当に「忌中」という生活をされているか、「喪中」という生活を送られているかによります。

つまり、本当に喪に服されているのならともかくも、普通の生活をされていて、「周囲の人が出すから」という理由だけでなら、現代の悪弊の一翼を担っているような気もします。

 「忌中」「喪中」と言うものの期間が明治時代に太政官布告で統一された。
 当時は「家柄」・「男尊女卑」という考え方が基本でしたから、今になって思うと随分不思議な区分がしてあります。

1年間も「喪に服す」などと言うことは現在の世情では全く不可能ですし、男女によって不平等であり、家督を継ぐか継がないかによっても期間に差がつくってあります。

 「忌中」や「喪中」の期間を、謹んで亡き人の思いに浸るのは、せいぜいが仏教でいう満中陰(49日間)が精一杯でしょう。余程悲歎に暮れているのであれば別ですが、満中陰を過ぎると、否応なく新しい生活に向かって生き生きと進まれては如何でしょうか。

 実体の伴わない「忌中」や「喪中」に事かけて、「喪中ハガキ」が配達されると、受けとった側も、どうして良いものか困るのが実情です。
 これ幸いと、これを機会に義理年賀を止めるキッカケにすれば良いのかも知れませんね。

私は年賀状は来たものから選択して正月に書いております。
毎年、年賀状の枚数が減ってゆきます。退職してから更に減りました。現職中は職員間の年賀状は禁止されておりましたが、罰則規定がないので送られてきます。ゴマすりの輩は無視します。ところが、退職してから送られる元部下は現職中厳しく当たっていた連中で、さぞかし恨んでいるだろうと思っていた連中から送られた年賀状に涙しました。


《何を伝えれば良いのか》

 年賀状を書き、一年に一度の交誼をたしかめる時期がやってきます。その時に、

 「実は父が3月に亡くなりました。父の生前中は親しくしていただき、あなた様のことをたびたび話題にしておりました。
 今年は本人が年賀状を用意する事が叶いません。どうぞお健やかに年末年始をお過ごし下さいませ。」

というような文面であればいかがなものでしょうか?


喪に服さず、普通に生活、文句をいう人が居なくなったので遊び呆けていても、
 ………喪中につき、年末年始のご挨拶はご遠慮申し上げます……
 ………喪中につき、年末年始のご挨拶を失礼いたします……
 
などと書くのは、かえって相手に大変失礼な、傍若無人な文面であることに、どうぞ気付いていただきたいものです。
なぜなら、喪主であるあなたとは一面識もないんですから。

 明治7年、それまで「公家方式」と「武家方式」の2つの仕来りのあった「服・忌」の方法を「武家方式」に統一されました。それは「武家方式」の方がいずれも休暇期間が短かった為と思われます。
 文明開化の中で、のんべんだらりんと「服」や「忌」にかこつけて休まれてはたまらなかったでしょうし、外国からみれば、「なんと日本は迷信の国か」と思われたくなかったのでしょうね。
この年の前後には、「女人結界の廃止」「混穢の制の廃止」「死穢1日限り」「産穢の廃止」など、迷信に関わるものが次々と廃止するとの布告が出されています。
 しかし、私たちは「しぶとい民族」「融通無碍の人種」なのでしようか、130年以上経過しても、「お触れ」に逆らっても迷信が大手を振って通ってます。 そのくせ、年賀状はお上のいいなりではありませんか。
法律は良い方向に向かって生かすべきで、悪しき慣習や法は、改めるのが当然ではないでせうか。


《根拠のない服と忌の定め》
 『服忌令』というものは、そもそも根拠のない「服や忌はどうしたら良いのか?」と不安がる無智無明の人たちに、安堵感を与える為に定められたとしか理解できないものです。
江戸時代の中頃以前は、その都度「あーだ こーだ」とバラバラだったのです。

 今日、物事を正しく見ておられる方は、「もう満中陰が済んだら、元気に社会に戻っていきましよう」と、こんな迷信の「服忌令」を否定されていますね。

しかし、一方、私たちの周りをよくみると迷信に振りまわされています。
 明治の服忌令をわかりやすく一覧にしてみました。
「男女同権」「一人ひとりの命は尊い」という現代の人権感覚で見てください
そうすると、『明治の服忌令』は何んとくだらないものかが見えてくるでしょう。

亡くなられた方との関係 忌中の期間 喪中の期間
実の父母       50日間 13ヶ月間
養父母(育ての親)  30日間 150日間
嫡母(生みの親)   10日間 30日間
継母・継父      10日間 30日間
離婚して去った母   50日間 13ヶ月間
夫           30日間 13ヶ月間
妻           20日間  90日間
跡取り息子       20日間 90日間
跡取りでない子ども   10日間 30日間
夫の父母       30日間 150日間
祖父母(父方)     30日間 150日間
祖父母(母方)    20日間 90日間
曾祖父母(父方)   30日間 90日間
曾祖父母(母方)   遠慮1日
高祖父母(父方)   10日間 30日間
高祖父母(母方)   遠慮1日
兄弟姉妹(異母も含む) 30日間 90日間
異父兄弟姉妹     10日間 30日間
跡取りの孫       10日間 30日間
跡取りでない孫(曾孫・玄孫・甥・姪同様)3日間 7日間
嫁いだ娘の曾孫・玄孫    なし
従父兄弟姉妹      3日間 7日間
妻の父母(夫としては)  規定なし(服忌の対象外)
妻の祖父母(夫としては) 規定なし(服忌の対象外)


 ついでに、「死の穢」とはどういう状況で発生するか、太政官布告(明治7年11月18日)の添付書類には次のような注釈が書かれています。

『家の内にて人死にそうろう時、一間に居合わせそうらはば、死穢これを受くべし。敷居を隔てそうらへば穢これなし。一間に居合わせそうろうとも、存ぜずそうらへば穢これなし。二階にても揚り口、敷居の外にこれ有りそうらへば穢なくそうろう。家なき所に死人これ有る時は、その骸これ有る地ばかり穢そうろう。家主死去そうろうても、死穢の儀差別(しゃべつ=区別という意味)これなく、死後その所へ参りそうろう者は、骸これありそうろうとも、踏合の穢なり。』

 踏合の穢は行水をすれば良いと定めてある。死のケガレというものは、このように曖昧な、陳腐なものなのです。

明治維新で人心を束ねるため、天皇中心に結束するため、「神仏分離令」がだされた。裏をかえせば、それまで神仏習合であったということでしょう。熊野3社は今でも神仏習合です。人の心も神仏習合だったのではないでせうか。困った時の神頼みではないが、とりあえず手じかにあるもので取り繕っていた。

勧進帳の山伏は神仏に帰依している。
私も最近、神仏習合になってきた。


最後に、どうしても喪中はがきを出される方のために、国語の文法から考えて疑問な文章が印刷屋の文例の大多数を占めているので、とりあげます。

 『喪中につき年末年始のご挨拶はご遠慮申し上げます』

この表現が圧倒的に多い。しかし、かなり失礼な文章ではないかと思うのです。
「ご遠慮申し上げます」の用法には、だいたい次のようなものがあります。

「乗車中の喫煙はご遠慮申し上げます」
「当店で両替はご遠慮申し上げます」
「車庫前につき、駐車ご遠慮申し上げます」

これらはいずれも「~しないでください」「~していただくと困ります」という意味に取るのが普通でしょう。かなり強い調子で拒否していると受け取れます。
この前提から、改めて「喪中につき年末年始のご挨拶はご遠慮申し上げます」の意味を考えてみると

 「喪中なので、年末年始のあいさつを送らないでください」

ということになります。
「送ってくるなよ。送ってきたらいやだよ」と、相手に命令していることになる。
なんと、慇懃無礼な文章でせう。
ですから、
 『喪中につき年末年始のご挨拶を失礼させていただきます』

というあたりが適切なのではないでしょうか。
「遠慮」が相手の行為を禁止していたのに対して、「失礼」は、自分の行為を指していますので、本来なら年末年始のご挨拶をお送りすべき所ですが、喪中のため、お送りしない失礼をお許しください。

というニュアンスになります。

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喪中ハガキ~2

今回は、喪中ハガキの歴史から考えてみよう。
なお、拙文ゆえ内容がこんがらがったり、文章の書きかたが、ですます調、である調、などコロコロさいのお目のやうに変るのは気分のせいである。一気に書いておらず、数日かけ、思いついたのを書き足しており、気が向かなければ途中下車している有様なので許されたい。

現在は年の瀬に年賀状を書くというのが当たり前にであるが、昔は、年賀の挨拶だから新年に書くのが通例でした。自然な行為である。

さすれば、新年になると郵便局の業務が多忙を極める。
そこで、郵政省いや逓信省は、あらかじめ年内に投函させ業務の繁忙を分散させるために明治32年に始まったのが、「年賀郵便特別取扱」、年内の一定期間に出された年賀状については、1月1日に配達するという制度である。
 年賀状の配達は、「郵便規則」という省令の第120条の2の規定に基づいて行なわれている。つまり、あれは郵便局が単にサービスで行なっているのではなく、法令に基づく行政行為なのである。
年賀ハガキの切手貼付欄の下に「年賀」と朱書されているのも、ちゃんと年賀郵便の扱いにする必須項目として規定されている。

お上の都合にあわせ、国民に命じたのである。郵便局が親切でしてくれているなどと思っている御仁はお目出度い輩である。

しかし、私は正月に年賀状を書いております。
第一、師走の追い込み時期に「おめでとう」などという気分になれないし、時間もない。
さらに、年賀状を投函後、会社が倒産、または自分や近親者に不幸があった場合どうしろというのだ。

本題にはいろう。
その年に葬儀を出した家庭では、喪中ハガキというものをだすのがなぜか世間の恒例になっている。わが家も3月に父が死去したので、喪中ハガキを出すと家内が譲らないのだ。

しかし、私は年賀状あるいは寒中見舞いを出そうかと思案している。

「喪中」とはなにか、という疑問については前回ふれた。
四十九日の法要で一般的な生活に戻ったはずなのに、なぜ年賀状だけはかようなものになるのだろうか。
調べてみると、四十九日であけるのは、「忌中」の期間であり、「喪中」とは別物なのであるという歴史があった。

・「喪中」とは、「死者をしのび喪服を着る期間」
・「忌中」とは、「穢れの身ゆえに身をつつしんで外出しない期間」

「喪中」の期間は時代によって変っております。
会社の「休暇に関する就業規則」と思ってください。

古くは、先祖崇拝の祭事を重視する儒教において、
三年の喪は天下の通喪なり(論語 陽貨篇)」とあり、足掛け3年(25ヶ月)を服喪の期間としていたが、儒教は中国では採用されなかった。

日本においては、たとえば養老2年(西暦718年)制定の養老令の、喪葬令服紀条に規定があり、父母の喪は1年、祖父母は5ヶ月、兄弟は3ヶ月、兄弟の子は7日と、今でいう親等の遠近によって、ずいぶん長さに差がある。

これらの規定は貴族階級たちを対象にしたものであり、庶民は生きるのに必死であった。

江戸時代になると、綱吉の時代に「服忌令(ぶっきりょう)」という法律が公布され、庶民にも徹底された。 犬将軍といわれ、哀れみの令を通じて、民の心が布施の心になれば世の中が良くなると信んじての行為と思われる。
将軍に悪意はなけれども、余裕の無い庶民の生活を向上させることの方を優先すべきであった。

ほとんど養老令と同じだが、父母の喪が13ヶ月に伸ばされている親が死んだときは、何月であろうと新年は喪中である。
だが、たとえば祖母が死んだ場合は、喪は5ヶ月である。
いずれにしても、長期特別休暇ですな~~。食費はどうするのだ??

 現在の冠婚葬祭に関するマナーブックの多くは、忌中、喪中の期間については、明治7年10月に出された太政官布告をもとにして一覧表を作っている、と注釈を載せている本が多い。
 これは、「服忌には公家制と武家制があるが、これからは公家制を廃止する」という内容のものであり、つまりは江戸時代の服忌令が明治時代になっても使われていたということだ。
 しかし、この服忌令は、遵守すると、そうとう長期間出勤できないことになるため、官吏の忌引については10日前後にするなど、次第に明治政府自身の手で守られなくなった。

 皇室では、戦前は皇室服喪令という法令があったが、現在は廃止されている。
しかし、運用としては、いまでもこれに準じているらしい。この服喪期間も、ほぼ、服忌令と同様となっている。

 庶民にとって家族の死後1年を喪中として年賀欠礼のハガキを出すのは、現在の法令では存在していない服忌令の影響が残っていて、しかも、そのうち両親が死んだときの服喪期間である1年(13ヶ月)だけが拡大解釈されて、家族が死んだらすべて1年は喪だということに捻じ曲げられたことと解釈するしかないようだ。

 厳密に適用すると、服喪の伝統から言えば、だれが死んだかによって、喪明けになり、年賀状を出してもよい場合もあるのだ。融通無碍な日本人だな~。

 普通の方はそこまで考えず、行動しているようである。
家族の誰かが死んだら喪中はがきを注文する。年賀はがきより少し高いような気がするのは私のひがみ根性でせうかしらん。

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