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2011年2月20日 (日曜日)

生死観~前回の続き

親鸞が書いた和讃の正信偈(ショウシンゲ)(帰命無量壽如来~で有名)の中に、「悉能摧破有無見(シツノウザイハウムケン)」という文があります。

  参考:検索したら 正信偈の練習サイトがありました。宗派で節が違います。
  http://www.gobosama.net/syo-hifi/

 訳は『有無の見を摧(くだ)き破るとは、人は人に生れ、虫は虫に生れ、生死相続して常住なりと思う、これ「有の見」なり。
人も犬も死すれば、火の消えたるが如く、灰となり土となり、迷いも証(さとり)もなきことなりと思う、これ「無の見」なり。』
と訳されていますがますます分からなくなったのではないでせうか。
ポイントは「有無見」です。

ちょと方向を変えるます。
そもそも仏教の基本原理のなかに四法印というのがあります。
それは、「①諸行無常、②諸法無我、③一切皆苦、④涅槃寂静」であります。
 ①は平家物語にでてきますので分かりますね。永遠のものはないといふ事でせうかしらん。

次の②「諸法無我」とは、『我というものはない』ということです。

「我」はさまざまな関係(縁起)中であたかも存在しているかのようであり、実体として存在していると思うのは幻想であるという考えです。 リアルではなくバーチャルなのです。

意識で自分と他人を分けていますが、自分というものは無いのだという境地になれない僕は毎日もがいています。 あなたは悩んでいませんか?

さて、佛教では霊魂の存在を認めていません
我が無いのですから、死後も霊魂という自我があるなどということは、諸行無常の原理から反しますよね。

オバ~サンで、スピリチャルの本で儲けている方がいますが、最近TVで見かけなくなりましたね。 美輪さんはスピリチャルは否定しています。

正信偈に戻って、
龍樹菩薩はこれを有見と言われました。
逆に死後は何も無いと思うことを無見として批判されています。
そして、その二つの見方とも邪見とみなし、中道を勧めたのです

佛教は中道の思想だと言われる所以です。

(つづく)

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