« 2011年12月4日 - 2011年12月10日 | トップページ | 2012年1月1日 - 2012年1月7日 »

2011年12月30日 (金曜日)

「君が代」「蛍の光」「仰げば尊し」と紅白歌合戦

有名な曲でありどなたもご存知の曲である。
これらの扱いが、軍国主義に繋がるだのとかいう日教組の面倒くさいことではなく、単に外国の歌を日本の歌、国歌にしていまったという、情けなさについていいたいのだ。

そのことについては、團 伊玖磨氏が晩年NHK教育TVで日本にふさわしい曲にしましょう、と何度となく唱えられていた。
世論は無反応であった。

僕は、邦楽や民族音楽を尊重する者であるからかも知らぬが、日本人で邦楽の種類をどれだけの人が言えるのだろうか。
(能、狂言、琵琶、常磐津、長唄、浄瑠璃・・・浪花節、都々逸・・・)
まねごとでもいいから、詠えるのだろうか。

民謡は現在唄われている曲と元唄および変化した亜流だけでも日本に数限りなくある。それらを収集され、研究している方々の資料が飛散していまうことを恐れている。
日本文化の喪失である。

紅白歌合戦こそ、流行歌でなく、日本の文化から生まれた邦楽や民謡を各分野からいれてはいかがなものでしょうか。
かつて、そうした試みがあったように記憶しているが、視聴率、お偉方、邦楽の方の意見、のなにが原因なのか、我々には分からぬまま、はやり唄や見せ物に成り下がってしまった。

NHKホールの無惨さについて書いたが、あそこは視聴料で出来ているのですから、馬鹿げた歌合戦のホールに変更させたお偉方は責任をとられたいと思うのは僕だけでしょうかしらん?


1.「君が代」(Wikipedia より抜粋)

明治13年に曲がつけられ、以後は国歌として扱われるようになった。
平成11年に国旗及び国歌に関する法律で正式に国歌に制定された。
歌詞の元は平安時代に詠まれた和歌である。

明治2年(1869年)に設立された薩摩バンド(薩摩藩軍楽隊)の隊員に対しイギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンが国歌あるいは儀礼音楽を設けるべきと進言し、それを受けた薩摩藩軍楽隊隊員の依頼を、当時の薩摩藩歩兵隊長である大山弥助(後の大山巌、日本陸軍元帥)が受け大山の愛唱歌である薩摩琵琶の「蓬莱山」より歌詞が採用された。

国歌の概念が無かった日本人に対してフェントンがどのような説明を行ったかは定かではないが、国王を言祝ぐ英国国歌"God Save the King"が手本にされたのであろうと言われている。

歌唱が難しく、西洋風の歌いかたにならざるをえない。
かつて、坂本 九ちゃんがボクシング世界戦にリング上で無伴奏で歌ったが、非難中傷された。
非難されたのはアクセントの付け方で、「きみが」を「きい みい があ」と歌うことはおかしいという意見なんですが、永 六輔氏は九ちゃんが邦楽の心得があるのを知っていてか、「あれは邦楽による正い歌唱である。」と言った。

MLBでも国歌は無伴奏が普通である。
僕も高校野球で唄われているこの歌をYouTubeで聞いたが、美声、クラッシック調、流行歌風ばかりである。 邦楽調はなかった。


2.「蛍の光」(ほたるのひかり)(Wikipedia より抜粋)
スコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」を原曲とした、日本の唱歌である。
作詞は稲垣千頴、作曲者は不詳である。


3.『仰げば尊し』(あおげばとうとし/あふげばたふとし)(Wikipedia より抜粋)
1884年(明治17年)に発表された文部省唱歌。
卒業生が先生方に感謝し、学校生活を振り返る内容の歌で、特に明治から昭和にかけては学校の卒業式で広く歌われ、親しまれた。
作曲者については、作者不詳のスコットランド民謡説、伊沢修二説などがあった。

しかし、「Song for the Close of School」という楽曲が、1871年に米国で出版された楽譜『The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』に収録されていた事実を、桜井雅人一橋大学名誉教授が2011年1月に発見した。

同書が基本的に初出の歌曲を載せていることと、旋律もフェルマータ(休止記号)の位置も同曲と同一であることから、恐らくこれが原曲であろうと思われる。
同書によれば作曲者はH. N. D.、作詞者はT. H. ブロスナンと記載されているが、ブロスナンはその後保険業界で活躍した人であり、H.N.D.はどのような人物であったかは明らかではないが、桜井によると、当時の習慣として未婚女性などはイニシャルのみを表記することが多かったので、女性ではなかったかとの説が生まれている。
またどのような経緯で日本に入って来たのかもわかっていない。

僕は、アメリカ映画のなかでよく耳にする旋律である。

まとめ:
 いずれにせよ、すべて外国の曲である。
 それを国歌にする何ぞは幕末ならば「攘夷」のやからとなり、殺害されていたかもしれぬ。
「坂の上の雲」で司馬氏が言うように、明治期の人々は前だけを見て進んでいた、いたって陽気な人達といわざるをえない。
勝ったわけでもない日露戦争を大勝利とし、全国に忠魂碑や護国神社を造営し、その元締めは靖国である。
当時の軍国少年たちが軍の学校を出た頃に太平洋戦争が始まろうとしていた。
有史以来、神国日本は負けたことがないと豪語し、誤った歴史観のもと戦争を始めてしまった。
敵国の言葉は禁止されたにもかかわらず、「君が代は」奨励され唄われていたという皮肉はどうとりつくろってくれるのだろうか?

| | コメント (0)

2011年12月28日 (水曜日)

野球のドラフト制度はウェーバー方式にしろ

ウェーバー方式とは、主に日本・アメリカ合衆国におけるプロフェッショナルスポーツでのドラフトの際に用いられる、選手の指名要領を規定するものである。

シーズン終了時のチーム順位を参考にし、どの指名巡目でも最下位のチームから順に選手を指名する
指名は即ち独占交渉権獲得を意味し、他チームとの競合(抽選など)は起こらない(ウィキペディアより)

今年も原監督の甥が浪人することとなった。
過去にも空白の1日などの問題が起こっている。

◎ウェーバー方式だと、一番弱いチームに一番有能な選手が行くことになるので、チーム力の均衡が図れる。

◎人気のある選手が入ったら、観客動員が図れる。

他にも賃金などおおくの利点があると思うのだが、日本でそれができないのは、誰かの力が強いからなおだろうと邪推したくなるのです。

| | コメント (0)

落合監督が辞めたのは?

野球はメジャーだのFAでYGに横浜の4番打者とソフトバンクのエースがいった。
みんなYGに憧れがあるんだねと、つくづく思うのです。
子供はYGが好きですよね。それが大人になっても続いているのでしょう。

前回、WBCの監督はマネジメント力がないと駄目だと申し上げた。
日本の監督で該当しうるであろう落合監督が球団との問題から辞めた。
TVや新聞で彼のインタビューがあったが、「さすが」と誰しも思ったでしょう。

ところが、日本では、彼の人気は意外となく、むしろ嫌ってる人が多いのはなぜだろう。
思うに、日本人は「甘い」のだろうと思わざるをえない。

根本、西本、三原、水原、鶴岡監督たちを超える、あるいは並びうる監督が落合さんだった。

僕の故郷、香川県(近頃うどん県などと馬鹿げたことをやっているらしい)からは、三原、水原と怪童 中西 太さんが有名です。
中西さんは、コーチが自分の性分に会っており、監督の器ではないと言い続けた方である。
ヘッドコーチを永く各球団で勤めたが、成績不振の責任をとって突如監督がいなくなり、つなぎで止むなく監督を何度か経験しているが、翌年に持ち越したことはない。

己を知った方である。
僕もそうありたい。

| | コメント (0)

« 2011年12月4日 - 2011年12月10日 | トップページ | 2012年1月1日 - 2012年1月7日 »