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2013年12月29日 (日曜日)

農地改革のねらい

農地改革は、農地の所有制度を改革すること。

1947年(昭和22年)、GHQの指揮の下、日本政府によって行われた農地の所有制度の改革を指す。農地解放ともいう。

もともと日本の官僚の間には農村の疲弊を除くために地主制度を解体する案はもとよりあったが、地主層の抵抗が強く実施できなかったものをGHQの威を借りて実現したといえる。

ただし帝国政府の考えた方針とGHQの改革内容には大きな違いがある。
小作争議から共産党革命(ソ連、中国のように)に移行することをGHQは恐れた。
結果、農地改革によって共産革命を防ぐことができたが、後の農業効率化の妨げとなり、帝国政府の考えた方針と異なってしまった。

**農民の租税の歴史**
江戸時代は村請制といって庄屋さんが村全体の年貢を取りまとめて領主に納めていた。村は運命共同体で強いものも弱いものも皆で助け合って生きてきた。結い、講の仕組みがあった。

明治維新後の地租改正によって村落共同体が解体に向かった。もはや村請制も庄屋さんもない。
農民が一人づつ自分の責任で税金を納めなければならなくなった。
冷害で不作、凶作になるとたちまち納税にいきづまって高利貸しから田畑を担保として納税資金を借りる他なかった。
戦前の銀行は、重工業・軽工業・商社に金を貸すだけで農民になど融資しなかったからだ。

では、誰が農民に金を貸したか。
それは高級官僚、戦争成金、にわか資本家といった小金持ち階級であった。
それが不在地主、寄生地主なのだ。

金を借りたが結局農民は返済できず土地を取り上げられる。
しかし、金を貸した不在地主は農業などできない。
結局、元の土地所有者を小作人として雇って、そのまま営農させるしかなかった。
土地の所有権は地主に移ることになるから納税義務は地主が負って、地主だけが選挙権を持つことができたのだ。
小作人は、納税分に地主の取り分を加算した小作料を納めさせられたので、以前よりも貧窮することになってしまった。
こうして自営農は次々と小作人に転落していった。

一握りの地主だけにどんどん土地が集中していったが、この土地は虫食い状態で全然大規模化したわけではない。
全体として地主の所有地が増えても農地は集約しているわけではなく、バラバラに点在していた。
地主は、小作人から小作料を摂るだけだから、何の不都合も無かった。

農地解放によって「農業の大規模化が遅れた」というのは全く実態を知らない人の誤った見解である。

高度成長期に都市の工場労働者になったのは、土地の相続が無かった農家の次男、三男であり、農地改革があろうとなかろうと関係なかったことである。
さらに、農地解放によって農地を農民が所有するとき、土地の優劣があるので分散して所有した。
ちなみに、我が家の農地は部落中に点在しており、連続していないため、農作業が誠に非効率である。
しかし、保水性のよい土地と悪い土地や水利が便利な土地がバランスよく各農家に分けられている。
そして、農民は、所有地となった田んぼの基盤整備、水路建設に奔走する。

その後、国は農地の集約を図り、農業経営を成立させるため、農地を2倍に増やす目的で挙家離農をすすめるため、農業基本法 が制定されたが 、
農業基本法は、日本農業,農政,ひいては産業政策全般の進路を明らかにした法律(1961年公布・施行、1999年、食料・農業・農村基本法の施行によって廃止された。)であった。

戦後日本経済の高度成長に伴って深刻化した農業のひずみをなくし農業近代化を図り,他方では農村から大量の労働力を引き出すことによる産業構造の転換を促進するため制定されたが,基本法自体は抽象的な綱領にとどまる。

土地を所有して基盤整備した農地を僅か10年そこいらで手放す農民はいない。 このことは農林水産大臣になった農家出の中川一郎氏が力説していた。
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        北海道の熊
その後、中川一郎氏は不振な死をとげ、司法解剖もせず、慌てて闇にふされた。??

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