「春愁」と「百々手祭」
万物が輝く春にふと感じる物悲しさを「春愁」(しゅんしゅう)という。
年々その想いが強くなって行くのは加齢のせいでせうか。
「麦秋」「竹秋」も春の季語なり。
我が家の「櫟」の枯れ葉は数日の強風によって落ち、芽吹きの準備が整ったようです。
雀のつがいは細い小枝をせっせと運んでいる。
巣作りに励んでいるのでせう。
九州では超早場米の田植えが始まったそうです。
7月には収穫できるそうです。
僕の村では「百々手祭」が19日に執り行われました。
この祭り、儀礼は「氏子らの無事と五穀豊穣を神に祈る神事」です。
数部落が当番制で順番に的やお供えを準備するのですが、他の部落からは誰も来ません。
昔は奪い合って弓を射ていたのですが、平日なので子供の参加もなく老人会の行事のようでした。
宮司さんの祝詞奏上 (右に作ったばかりの的が)
宮司さんが最初に矢を射ます
的 は村の神様ごとに何個も作ります
的の裏 今年は「大麻比古神社」に倣って「鬼」
県の西のほうでは、100本矢を射るために若者が帰郷するそうで、
県も無形文化財として指定し、国に更なる指定を願っているようです。
裃、袴姿で本格的にやられております。
生里(なまり)の百々手
粟島の的は巨大な縦長で卑猥さもあり、ユニークです。
粟島の巨大な的
海の男達にとって勇気づけられるものをイメージしてあるのではないかしらん。
方や、延喜式阿波の一の宮である「大麻比古神社」の百手式は豪華華麗である。
小笠原流師範が白装束で氏子の方も平安武士の晴れ衣装で、くらぶれば、当県の裃姿は貧乏たらしい姿じゃて。故に映像はない。
これは、帝の命で作られた「延喜式神社」と民が作った「地神社」との違いであろう。
大切なのは「祈り、感謝する心根」であろうとなかろうと負け惜しみを言う吾であった。
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